大本恭敬逝去に寄せて

大本恭敬, ヴォイストレーニング

大好きな父であり 生涯の師である大本恭敬が 令和7年1月5日に旅立ちました

生前 父は皆様から賜りましたご厚情を何よりもの支えとしており 深く感謝しておりましたこと
お伝え申し上げます

葬儀は父の遺志により 家族のみで密葬を執り行いました
四十九日 納骨式も無事に終えましたが 父を失った寂しさは日々募るばかりです

本来であれば早速お知らせの上拝謁し ご挨拶申し上げるべきところではございますが まずは
この場をお借りいたしまして謹んでご報告させていただきます非礼を何卒お許しくださいませ

皆様のご厚誼に心より感謝申し上げます

 

令和7年2月26日

株式会社大本 代表取締役
ヴォイス・トレーナーズ・アカデミー®代表
大 本  京


いくつもの人生の道標べとして いつまでも見守りつづけた人

【6歳の頃からドア一枚隔てた部屋で見て聞いた ヴォイストレーニング®の真髄】
「大本先生は怖くて厳しい」という伝説の通り 男気が強く曲がったことや言い訳は通じない反面
頑張っている人には惜しみなく手を差し伸べ信じてくれる唯一の人として 生涯 数多くの生徒さん
に慕われ愛されました

私にとってはやさしくて おもしろくて おしゃれで めちゃめちゃカッコよくて チャーミングで
強くて 厳しいけれど 人として何が正しいかを 人生をかけて教えてくれた 愛のかたまりのよう
な人です

私は6歳の時からヴォイストレーニング®の第一人者で父である 大本恭敬から発声指導の英才教育を
受け プロ歌手指導育成1,500人以上 指導総数45万人以上の指導が行われていた実家のスタジオで
昭和を代表する大スターである西城秀樹 岩崎宏美 ピンクレディ 中森明菜をはじめ 業界の第一線
で活躍するプロ歌手 俳優 声優 トップアイドルから宝塚のスター プロ歌手志望の若者たちのレッ
スンを ドア一枚隔てた部屋で見て聴いて育ちました

まさにこの目で日本の歌謡界の歴史を見て この耳でヴォイストレーニング®の真髄を聴き育ちました

【誰が大本先生の跡を継ぐのかな?お嬢ちゃんかな?】

ずっと父の仕事を見てきた私に 大人の人たちから よく聞かれました
「パパの仕事は本当にすごいけど パパの仕事を継ぐとかは絶対に誰にもできない この仕事はパパにし
かできないの パパの特別なパワーやエネルギーや才能だからね 簡単に継ぐとかいうのはないよ」
と言い切っていました

世の中にも 声楽家や歌の先生はおられても ヴォイストレーナー®がまだいない時代

眠っている「声の可能性」の芽を育て磨き咲かせるのですから 高い声を出すとか ビブラートができる
ようになるとか 今の時代ならYoutubeで調べられるような上辺だけのテクニック どこかの学校で習っ
てきたことや 自分の経験からニュアンスばかり伝えたり または本にあることをそのまま教える そう
いうレベルじゃなくてプロとして通用し 多くの人に 唯一無二の魅力と感じてもらえる その人の武器
になるもの ひとりひとり違う「声」というものの特質 内側から輝き出すものを見つけて 聴き分け
仕上げ 結果が出るレベルまでサポートするわけですから その工程のようなものを 間近で何十年も見
ていた私には 父のヴォイストレーナー®としての職人とも言える姿は 本当に尊い仕事でありながらも
作詞家や作曲家の先生たちほどスポットライトは当たらない・・・ことも歯痒く感じていました

その仕事を父は 日本にまだヴォイストレーナー®という職業が存在しなかった 1960年代半ばから一人
芸能界の縁の下の力持ちとして コツコツ続けてきたのです

 

【俺は一匹狼だからな〜」というのが口癖】

どこにも媚びず 誰とも群れずに 信念を曲げずにひたすら荒野を走り続けた姿
この道の第一人者として 豊かな音楽性と深い知識 クリエイティブな発想と情熱を兼ね備え 日本中の
歌手や歌を愛する方々の夢を叶えるために指導を続け それぞれの『個声』を磨き育てることに 生涯を
捧げた姿をです

私は そんな父の姿だけでなく芸能界 歌謡界も そこにいる 多くの人たちのことも 父の背中越しに
この目で見て 多くのことを感じてきました

1970年代に入り 自宅には朝から夜中まで 大スターがレッスンを受けにやってきました
しまいには自宅が手狭になり 大きなレッスン室がある家に引っ越さねばならないほどでした

リビングルームでは アイドルやトップスターが鉢合わせたり ファンの子たちがマンションの駐車場に
大挙押し寄せてパトカーが出動してしまったこともありました

私はみなさんとおしゃべりをしたり ご飯をたべたり 宿題をみてもらったり 絵を描いたり ギターを
教えてもらったり ピンクレディーさんには2段ベットで仮眠をしてもらったり と子供ながらに 遊ん
でいただいたり お茶を出したり おもてなしをしたり みなさんに可愛がっていただきました

アイドルの子たちより 私の方がお姉さんの年頃になると 今度は宿題をみてあげたり 家庭教師をして
あげたり 美容やお化粧 ダイエット研究を一緒にしたりと・・・兄弟姉妹のような仲良しです

生意気な様ですが そんなふれあいからも みなさまからプロとしての努力や真摯な姿を たくさん学ば
せていただきました

 

年末の音楽賞レースにノミネートされた新人がみな 大本恭敬の指導を受けた方々であったことも決して
珍しいことではありませんでした

紅白の楽屋では 大本同窓会が開かれていたそうです

レッスン室の入口のスリッパ立ての並べ方で 「今日の大本先生の怖さのバロメーター」がわかるように
みんなが情報を伝え合っていたという話も聞いたことがありました

スカウトマンは恵比寿駅前に立っていれば ものすごいポテンシャルの高い子達が一定方向に歩いていく
のですぐに 大本のレッスン生とわかったそうです
どこのレコード会社 プロダクションが 次に どんな子をデビューさせるのかリサーチするなら恵比寿
でという合言葉もあったようです

 

【人生は 今という時間が一番大事なんだ 学校より大事だぞ】

マンガの様な話ばかりですが 我家だけでもひとつの芸能界が存在していました
日本テレビ「スター誕生」で予選会での発掘からレッスン 決勝大会後もデビュ
ー後もレッスンを担当し
父の「声の可能性とスター性」を見抜くその審美眼に多
くの信頼を寄せていただき 日本中の芸能プロダクションやレコード会社様より
さらに多くの新人・ベテラン問わず指導育成をご依頼いただきました
ですから 父のスケジュール表は 朝から夜遅くまで 真っ黒でした
ひっきりなしに人が出入りし 母はお茶を出したり 食事を出したり スケジュ
ール調整やレッスンのアフターフォローにお悩み相談などで 実際には父よりハ
ードに みなをサポートしていました

家族は 父のレッスンが終わるまで 毎晩食事を待っています

そして一緒に晩御飯を食べながら 父が 自分が子供だった頃の話や世の中の大切な話 家族として人とし
ての大切な話 宇宙の話 外国の話 昔の話 不思議な話 大人の話 笑える話 かけがえのない時間を残
してくれました

「人生は 今という時間が一番大事なんだ 学校より大事だぞ」


                                                                                  ピンクレディの振付師・土居甫先生のご家族と大本Famiry

今思えばとても型破り ユニークですが 私たち子供は 父の話にワクワクドキドキ もっともっと聞かせ
てほしいと おねだりしたものです

そんな我家でしたが 父がレッスンをしている間に歌番組をこっそり観ていると レッスン室から出てきた
父が笑いながら
「そんなの観るんじゃない」
といって チャンネルをまわします
朝から晩まで 歌のレッスンをしている父にとって TVで活躍する教え子の姿や歌声を観るのが嫌なのでは
なく せめて TVを観ている間くらいは 音楽から離れたかったのでしょうか(笑

父は 教え子の歌声を聞いただけで
「体調が悪そうだな」
「何か悩みでもあるのか」
「寝不足だろ?倒れない様にしないとな」
「来る途中電車で居眠りをしたのか?」
といった具合に言い当てるのですから
「ど、ど、どうしてわかるのですか?」
と驚かれたり 誰にも言えない悩みを抱える教え子などは
「なんだか 見透かされて 大本先生怖いです」
と 父には絶対に隠し事ができない 嘘はつけないといった 緊張感があったようです

「教える方が真剣でどうするんだ!夢を叶えるのは自分自身だ お前がやらないで誰がやる」
「俺は答えを教えるんじゃない 自分で見つけるんだ」
とよく言っていましたが 本当にもっともです

深いなぁと 今でも思います

 

歌謡番組は あまりみなかった父ですが、真夜中に放送をしていた「Soul Train」などは よく一緒に観て
「彼らの歌や曲はすばらしい こういう音楽は よく聴いておきなさい」
と 教えてくれたりしました(ジャクソン5やダイアナロスなどが出演していました)

外国の映画も 本当によく一緒に観ていました

あの頃は 毎日 どこかしらのチャンネルで 映画が放送されていましたから 不朽の名作からウェスタン
スタンダードジャズやゴスペルが流れるものや コメディまで なんでも父の解説付きでした
レコードも クラシックからジャズ シャンソン ボサノバ カンツオーネ ミュージカル ヒット曲など
ジャンルを問わず5,000枚近くありましたので 父が外で仕事をしている日には 防音仕様のレッスン室で
レコードプレイヤーをかけて 思う存分聴いたりするのが 楽しみでした

父のピアノも 父がいない日は弾いてもOKでしたから 私にとってレッスン室はまさに宝箱でした

やがて大人になって この部屋で自分が教える立場になるなんて 想像もしていませんでした

ユニークという言葉では語り尽くせない オリジナリティあふれる大本家で 個性・感性豊かな子供=私は
こうして出来上がっていきました


【パパがミュージカルスターになる】

父は ヴォイストレーニング®の指導の傍で 幾度となく
ミュージカル俳優としても活動しました

安部譲二原作「塀の中の懲りない面々」(本多劇場)で
は「囚人ドク役」で出演
なかにし礼原作「奥様の冒険」(芸術座、大阪コマ劇場)
では 大本恭敬のヴォイストレーナー®としてのエピソ
ードがこめられた物語で(大本恭敬のモデルは山城新伍氏)
写真左の「東海林二郎役」(東海林太郎先生がモデル)で
舞台に立ち東海林太郎先生の「国境の町」と 田畑義夫の
「かえり船」を歌い喝采を浴びました

日本テレビ「ルックルックこんにちは 女ののど自慢」にレギュラー出演し 「恭敬のこれでバッチリ」コ
ーナーで 日本中のお茶の間に「きょうけいさん」という愛称で親しまれるようになりました
電車に乗っていても 道を歩いていても 声をかけられて すこし照れていました

1993年にヴォィス・トレーナーズ・アカデミー®開校
これより日本全国へ赴き ヴォイストレーナー®発声指導者養成講座を開講することになりました

そのタイミングで私は 父のヴォイストレーニング®の仕事をサポートするようになりました


【そして ヴォイストレーナー®のバトンが渡された】

きっかけは 日本全国から教えて欲しいという希望が殺到し さすがに 自宅では難しいということもあり
東京・恵比寿にヴォイス・トレーナーズ・アカデミー®恵比寿本校を開校しました
ここで私は 新人発掘・プロデュース ヴォイストレーニング® Vocal & Dance GOSPEL  作詞作曲教
室などを手がけ 毎年アカデミーから 父とタッグを組んで新人歌手をデビューさせ 1996年からは全国で
延べ800名以上のヴォイストレーナー®育成に携わりました

意外かもしれませんが ヴォイストレーニング®の仕事は父からの突然のオファーでした

私が子供の頃から歌手になりたいという夢だけは 絶対に許してくれなかったのにです(笑
「ヴォイストレーナー®はパパにしかできないものすごい尊いお仕事」と思っていたのに いきなりバトン
を渡され それから30年 とにかくどこにいくのも何をするのも一緒に 父に学び 父を支えて参りました

父の跡を継ぐ準備が始まったと同時に 父をサポートするという母の仕事も受け継ぎました

父は60歳を過ぎ「怖くて厳しい大本先生」は どんどん夢を叶える「少年」のように輝いていました

1996年・1999年にはNYのカーネギーホールでのリサイタルのを成功させ 2000年ハワイシアー 2005年
韓国COEXホール 2010年ハワイコンベンションセンター 2014年台湾台北Amigoなど 日本全国の門下生
たちとともに 世界の檜舞台に立ち続けました

「俺はね やっぱり歌いたいんだよ」

一緒に九州に講演会に向かっている車中で 父がポツリと言いました
「じゃあ 一緒にライブやろうよ」

こうして2011年12月から 父は長年の夢であったステージに復帰することになったのです

 

【パパが歌手に復帰】

娘である私MIYAKO(大本 京)とのジョイントライブ「MIYAKO & Papa」(年2回開催)がライフワークと
なり 美しい日本語でうたう懐かしの流行歌・歌謡曲・JAZZで圧巻のパフォーマンスを披露し たくさんの
お客様を魅了しました

パパに会いにいきたい パパの歌声に涙が止まらない パパ格好いい パパ可愛い 田舎の母に聞かせたい
今度はお友達といっしょにきます 日本全国で歌ってほしいなど とにかく老若男女に大人気です

衰えぬ歌声も チャーミングな表情も ユーモアあふれるおしゃべりも おしゃれな衣装も 選曲も構成も
SWINGするJAZZは本物だし とにかく みなさまによろこんでいただいて パパも大喜びです

「パパ レコード出そうよ」
と本気で言いましたが
「俺はいいんだよ 歌っていられれば しあわせなんだ」

衣装は 着物デザイナーである私の夫が 毎回ふたりのために誂えてくれたものを着用
「MIYAKO and Papa音楽会〜私の好きな歌〜Kimono de JAZZ」 というタイトルでシリーズ化しました

MIYAKO and Papaのステージは2019年まで続き 全35公演開催いたしましたが コロナで歌をお届けで
きない社会状況となって 残念ながら中断したまま・・・でした

   

 

【85歳まで現役で直接指導】

レッスンもコロナで緊急事態宣言が出る直前まで 現役で続けていました
「この子達が全員 デビューするまではレッスンはやめられないからな」と決めていました

   

象牙の鍵盤のピアノは 父の宝物でした
生涯で何曲の伴奏をしたことでしょう
なんと父は ピアノは独学だったことを ここに付け加えておきます

 

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晩年 私に残してくれた言葉は「楽しく歌いなさい」でした

そして 夏目三郎のデビュー曲やヒット曲 作曲したTVやアニメの主題歌 MIYAKOとのデュエットした
「Summertime」のライブ録音 九州公演のライブ録音 「恩師の前で歌う傷だらけのローラ」などなど
大好きな 大切な歌の数々を聴きながら 眠る様に天国へ旅立ちました

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大本恭敬の「歌」にかける強い思いと「声」へのあくなき探究心―そこから生み出される「個声」は 多くの
歌手や歌を愛する方々の人生を輝かせ かつてない喜びと自信を届け 新しい感動を生み出し続けてきたこと
多くの歌声が届いた その傍には 大本恭敬がいたことを 皆様の記憶に永く留めていただけますよう 心よ
りお願い申し上げます

大本恭敬は 「声第一主義」で誰よりもその人自身が輝くために寄り添い 日本のヴォイストレーニング®文
化の発展を願い続けました
そのあくなき挑戦を続ける精神によって 誰も想像し得なかった未来を切り拓き 数多くの伝説的な偉業を成
し遂げてきました

1957年の歌手デビューから68年間 並々ならぬ努力と情熱を注いできた大本恭敬の志を受け継いで 私たち
ヴォイス・トレナーズ・アカデミー®は これからも「声とあなたを磨く〜可能性を育てるための学びの場」
を提供し続けてまいります

歌手を志す方から 声を生かして働くすべての方々のお力になれますよう 全力を尽くしてまいります

株式会社大本 代表取締役
ヴォイス・トレーナーズ・アカデミー®代表
大 本 京

 

 

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